生い立ち
約70万〜20万年前、現在の富士山の位置には「小御岳(こみたけ)」という火山がまずそびえていました。 標高2,400メートルほどだったとされるこの火山は、粘り気の強い安山岩質のマグマを噴き上げていたと 考えられています。2004年、東京大学地震研究所によるボーリング調査で、この小御岳よりもさらに古い 「先小御岳(せんこみたけ)」という火山体の痕跡が地下から見つかり、富士山の生い立ちが従来考えられて いたよりも複雑であることが明らかになりました。
その後、約10万〜8万年前から「古富士(こふじ)」の活動が始まります。爆発的な噴火を繰り返し、 火山灰やスコリアを積み重ねて山体を成長させていきました。しかし約2万5,000年前には、山体の一部が 大規模に崩れる「山体崩壊」を起こし、大量の岩屑(がんせつ)が山麓に押し寄せる「古富士泥流」を 引き起こしたことも分かっています。現在の富士山の裾野の広がりの一部は、この崩壊の痕跡でもあります。
そして約1万1,000年前、噴火のスタイルが大きく変わります。爆発的な噴火から、粘り気の少ない 玄武岩質の溶岩がとろとろと流れ出す噴火へと移行し、比較的短期間で山体を大きく成長させました。 これが「新富士(しんふじ)」の活動で、私たちが今見ている、左右対称の滑らかで美しい稜線は、 主にこの新富士の溶岩によって仕上げられたものです。
有史最大の噴火
平安時代、貞観6年(864年)から翌年にかけて、富士山の北西山腹(現在の長尾山付近)から大量の 玄武岩質溶岩が噴き出しました。これが「貞観大噴火」です。溶岩は北西方向へ大規模に流れ下り、 当時その一帯にあった「剗(せの)の海」と呼ばれる広い湖を埋め尽くしていきました。
溶岩流によって湖は分断され、現在の精進湖と西湖という二つの湖に分かれたと伝えられています。 そして、この噴火で流れ出した溶岩の上に、千年以上の歳月をかけて森が育っていった――それが、 現在「青木ヶ原樹海」と呼ばれる森です。つまり樹海は、噴火が生んだ大災害の爪痕そのものであり、 同時にそこから再生した生態系でもあるのです。詳しくは「樹海の真実」のページで扱います。
最も新しい噴火
江戸時代中期、宝永4年(1707年)に起きた「宝永大噴火」は、記録が残る富士山の噴火の中で最も新しい ものです。この噴火の大きな特徴は、山頂の火口からではなく、南東の山腹に新たにできた火口――現在 「宝永火口」と呼ばれる大きな窪みから噴火したことです。宝永山という小さなピークは、この時の噴火で 新たにできたものです。
噴火は爆発的で、大量の軽石や火山灰を噴き上げました。火山灰は偏西風に乗って江戸の街にまで達し、 当時の記録には「江戸に灰が降った」という記述が残っています。溶岩の流出をほとんど伴わなかった 一方、広範囲に大量の降灰をもたらした点で、貞観噴火とはまったく異なるタイプの噴火だったといえます。
次に読むなら
貞観大噴火の溶岩の上に育った青木ヶ原樹海には、地質学的な事実と、インターネットで広まった 都市伝説が奇妙に同居しています。次のページで、両方を整理して読み解きます。
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